お勧めの本 | アット高槻 −北摂から面白いことあれこれ−

アット高槻 −北摂から面白いことあれこれ−

高槻を中心に北摂の面白いことあれこれを、成喜建設(株)のインテリア&Web担当者がレポートします。
主に高槻市・茨木市を中心に北摂地域のイベントやお店等の街ネタを紹介していますが、たまには京都・神戸などへの遠出もありです。
*お店の定休日・営業時間などは変更もありますので、お出かけの際は直接各店にご確認下さい。
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くじけないで…津波にも、原発事故にも
3.11から2年、そしてあっという間に、また数日が経ちました。

2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒、この瞬間から日本は、かつての、ある程度安定した状態から、崖っぷちをバイクで走っているような危なっかしい状態になってしまった。阪神淡路大震災で、黄色い信号が灯っていたというのに、平気で津波対策の万全な状態でない原発を稼動していた。名門大学を出て、一流企業の幹部になっていた方々の経営判断で・・・事故原発の状態は、まだ少しも収まっていない。考えるだけでもゾッとする状態。

masato 原発避難農民さんのtwitter
「家を創った。仕事も自立した。墓も作った。すべてを揃えてすべてを失った。東電は証明せよと言う。私が悪いのだろうか。」
このtwitterを偶然知って、「こんな理不尽なことって・・・でもそれに耐えておられる。本当に偉い!」と思いました。
■masato 原発避難農民さんのtwitterをもっと読むには

まだまだ事故は収束に向かっていないという。私は現地に行ったことがないが、いつも阪神大震災直後の神戸の風景を思い浮かべる。でも、津波はもっと凄まじい被害。神戸も凄い状態だったのだから、それ以上なんて考えられない状態。そこへ、大事故という『人災』が加わる。どんな大事故でも、原子力でなかったら、火力発電所の大事故だったら、どこかで終焉して、復興に向かえるのに。コントロール出来ないものを、出来ると断言して建設したことは、本当に良識の無力さ、経済エゴ、闇の勢力の恐ろしさを感じる。

そして思いだすのはこの言葉『くじけないで』。
これは、1月にお亡くなりになった柴田トヨさんの、詩集の題名。
有名だからほとんどの方が、ご存知とは思うけれど、解りやすいサイトがあったので、ご紹介します。

『くじけないで』柴田トヨ 立ち読み
詩人 柴田トヨの世界



どうぞ、本当にお互い『くじけないで』そして、柴田さんのような素敵なシニアになって、静かに立ち去りましょうね。出来たら身近な人にだけ、自分らしい余韻を少し残して。



追記:原発関連で私がオドロイタ!という事を右サイドの『原発関連リンク』にピックアップしています。
その中でも、『naverまとめ 衝撃!福島原発第一の怖い現状!』が、一番最近の事なのですが、本当に衝撃です。

日本人は本来は、そんなに我欲の強い人は多くないと思いますが、他国や他社への対抗上、果てしない競争や、エゴまみれの行動に引き寄せられ、その結果、負のスパイラルに陥っているようです。
そして、これは想定外の事故だから…と、また同じ思考回路で行動する。。。
もう根本から、日本は簡潔な美や日常のささやかな楽しみ+損も覚悟の潔い平和追求で行くしかないと思います。

反対意見の方多数とは思いますが、どんな理由があろうと地震国で原発事故を起こしたような、無鉄砲は恥ずかしい。そしてどんな国であろうと、核の始末は出来ない事は、十分証明されたと思います。





東日本大震災から、半年
 東日本大震災+原発事故から半年、米国の同時多発テロから10年、どちらも、こんな事があるなんて、想像もつかないことでした。なんだかナァ、いくら何でも、こんな事が起きなくてもいいじゃん…と、空を見ると、何事もなかったように、入道雲のモクモク湧く残暑の青空。でも昨年までとは全く違う日本、10年前とは全く違う世界となっているのはなぜ?と、目に汗?のにじむ一日でした。
 各新聞社から東日本大震災を特集誌が出ていますが、地元の河北新報社の特集は、やはり現地に本拠のある新聞社だけのことはあります…。(これでも日本の報道では、あまり悲惨な写真は掲載していないらしいです。)
 
震災2日後の河北新報の社説は、とても胸を打つものでした。それ以降、時々、同社のサイトを見ています。
今更…かもしれませんが、やはり少しでも多くの方に読んでいただけたらと思い、3月13日の社説を引用します。

生きてほしい

 この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の中、首を長くして救助を待つ人も絶対にあきらめないで。あなたは掛け替えのない存在なのだから。

 巨大地震発生から2日が経過しようとしている。太平洋沿岸から街が消えた。木造の家屋は土台しか残されていない。

 余震が続き、津波も繰り返し押し寄せる。「この世の地獄」としか言いようがない、むごたらしい光景に言葉を失う。

 この瞬間も、がれきの下で、ビルの屋上で、孤立した集落で、多くの人が救出を待っている。何とかしたいと気ばかり焦るが、未曽有の天災を前にして、われわれはあまりに無力だ。

 恐怖と不安に足がすくむ。それを和らげてくれるのは、食料などの救援物資だけではあるまい。寄り添う他者が居れば、折れそうな心が生き返る。勇気も湧いてくる。

 「石油ストーブに当たってください」「よかったら、カップ麺をどうぞ」。きのう自宅近くの神社境内に一時避難していたら、見知らぬ人が声を掛けてくれた。

 普段は儀礼的なあいさつしか交わさないマンションの住民が「大丈夫ですか」といたわり合う。近所の菓子問屋の主人は、手持ち品を放出してくれた。コンビニ前には順番待ちの長い行列ができたが、取り乱す人などいなかった。

 各人が自分の持ち場を守り、譲り合うべきところは譲る。そう、私たち東北に住む者には、長い歴史の中で培ってきた「共助」の精神が脈うっている。苦難に直面している今こそ、「お互いさま」だ。

 それにしても、悲鳴にも似た大地の震動は何だろう。三陸沖を震源とする国内観測史上最大のマグニチュード(M)8.8の巨大地震が列島を襲った。大津波、建物の倒壊、土砂崩れ、火災。東京電力福島第1原発では「炉心溶融」とみられる深刻な事故が起きた。

 死者・行方不明者の数が時間がたつにつれて増えていく。太平洋沿岸部では、壊滅状態となっている市町村も少なくない。

 救援に当たる警察、消防の担当者も被災者だ。被害の全容が分かるのは、しばらく後になるだろう。
 東北各地で交通網は寸断され、電気やガス、水道などのライフラインもダウン。完全復旧までには時間がかかる。学校などの避難所はどこも満杯だ。

 警察庁は東北自動車道や常磐自動車道などの一部区間を緊急交通路に指定した。自衛隊の災害派遣部隊の車両が、被災地で往来し始めた。米国や韓国など海外からの救援隊も間もなく到着するだろう。

 心身の疲労はピークに達していようが、もう少しの辛抱。家族、ご近所で励まし合って乗り切る以外、今は道はないのだ。

 「共助」の精神は本紙も共有している。ページ数は減っても、新聞を読者の元に届けることに全力を挙げる。正確な情報は危機を乗り越える最大の武器だからだ。落ち着いて、希望を失わずに。生き抜いてほしい。

2011年03月13日日曜日


 「落ち着いて、希望を失わずに。生き抜いてほしい。」これは、これからも、もっともっと広い意味で、日本人全体へのメッセージだとも読めますね。

参照:河北新報3.11大震災特集

【大震災被害者数】

死亡確認    1万5781人

行方不明者     4086人

(9月10日現在、警察庁発表)

避難・転居者   8万2945人

(8月25日現在、政府の復興対策本部まとめ/SANKEI EXPRESS)

長崎の8月9日
 このブログを書き始めてから、どれぐらい経つのかなと見てみると、2007年の冬からだったので、もう3年半以上になるのですね。でも今年ほど、また、ここ数日ほど、何を書けば良いのかに迷う事はありませんでした。昨年の8月は、芥川商店街の夜市、高槻まつり、辯天宗花火大会、舞州のサマーソニック等の事を気楽に書いていたんですケド…。
 でも今年は、単純に楽しんでもいられないと思うのと、曜日の関係で多くの行事が重なって、何だか難しく感じてしまいました。高槻まつりの初日、8月の第一週の土曜日は、今年は6日、広島に原子爆弾が投下された日に重なっていて、この日から人類が、核の被害に晒されることになったことを思うと、ああ本当は日本全国、こんな風に普通のお祭りが出来るはずだったんだなんて、とっても高槻音頭が深く響いてしまう。今年は夏の高校野球の開幕も同じ日で、選手宣誓はとても印象的でしたが、色々と思いが広がって書きそびれました。
 8日の辯天宗花火大会は、地元でこんな花火を見れて良いなあとしみじみ嬉しかったですが、カメラの設定を間違えていて写真は全滅。昨年は、小さくだけど一応撮れたのに。(>_<;)
 今日9日は、「ながさき平和の日」(長崎原爆忌)、そして2004年に原発で初めての犠牲者があった日です。

1945年 - 第二次世界大戦: 8月6日の広島に続く2度目の原爆投下と前日のソ連対日宣戦布告を受け、御前会議を開催。翌8月10日にポツダム宣言の受諾を決定。
2004年 - 関西電力美浜発電所で高温の蒸気が漏れ出る事故。作業員11名のうち5人が全身やけどで死亡し、日本の運転中の原発で初の死亡事故となる。
(1999年の東海村の臨界事故は核燃料加工施設内の事故でした)
 −Wikipediaより抜粋−


この時期の日本を、仕事用と個人用の2台のカメラで撮影したのは、従軍カメラマン、ジョー オダネル(Joe O’Donnell)氏です。彼が個人用カメラで撮った写真を公表するまで、40年を越す歳月が必要でした。


《参照》
The Phoenix Venture's Blog(日本語版) Joe O’Donnell氏のご子息のブログ(遺志を受け継ぐために作成されています)
中にNHKの番組の一部がアップされていて、「日本軍は確かにひどいことをした。でも(戦災を被った)子供たちは何もしていない…。歴史は繰り返すと言うが、繰り返してはならない歴史もある」等が彼自身の声で語られています。

2007.8.14のThe New York Times Washington版に彼の訃報があります。広島、長崎で被爆したことが原因と思われる病気で、50回を越す手術を受け、奇しくも 2007年8月9日(現地時間)に大腸と心臓の疾患で亡くなったそうです。85歳でした。良心に忠実な行動に感謝です。

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